このシリーズの最終回です。
第1回で「何が変わるか・何を点検するか」、第2回で「使えるお金(助成金・補助金)」を見てきました。 それでも残るのが、次の本音です。
「助成金をもらっても、毎年上がる人件費を社内だけで飲み込めない」
「新人の時給だけ上げたら、古参パートが黙っていない」
第3回では、次の3点をやさしくまとめます。
- 原資は価格にも求める(労務費転嫁指針+令和8年1月施行の取適法)
- 新人だけ上げない(賃金圧縮・逆転を防ぐ)
- 10月は最賃だけではない(明示事項追加・社保の賃金要件撤廃・保険料調整制度)
- 第1回:【やさしい解説①】高知県の最低賃金が1,086円に!まず何をすればいい?
- 第2回:【やさしい解説②】最低賃金アップの負担を軽くする!助成金・補助金の選び方(高知県・令和8年度)
- 第3回(本記事):価格転嫁・賃金圧縮・10月に重なる改正
※金額・発効日は地方最低賃金審議会の答申を前提にしています。正式決定・官報公示後に確定します。
1.賃上げの原資は「価格」にも求める
最低賃金の引上げは、法律上の義務です。
一方で、その分をすべて会社の利益だけで抱える必要はありません。特に下請け・受託の多い業種では、労務費(人件費)の上昇を取引価格に反映することが、国も後押しする当たり前の経営行動になりつつあります。
ざっくり見積もると、次のようなイメージです。
パート10人 × 週20時間 × 52週 × 63円 ≒ 年間約65万円
「63円だから大丈夫」ではなく、人数と時間を掛けると、価格に載せないと吸収しきれない会社が出てきます。
頼りになる指針
- 労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針(公正取引委員会)(令和8年1月改正)
希望額の出し方や、根拠にする公表資料の使い方をまとめたページ
指針の要点を、経営者向けに短く解説したページ
難しい条文を全部読む必要はありません。現場では次の3つを押さえてください。
交渉で使える「やさしい3原則」
- 自分から希望額を出す
相手の提示を待たない。最低賃金の上昇率など、誰でも見られる公表資料を根拠にする。 - 社内の給与明細を全部見せる必要はない
「高知県の最低賃金が63円(約6.2%)上がる答申が出た」など、客観データで足りることが多い。 - 協議のテーブルにつくこと自体が大切
受注側からの協議要請に応じず、一方的に値段を据え置く行為は、発注側にとって法令上のリスクになり得ます(令和8年1月改正の流れ)
取適法(旧下請法)との関係
令和8年1月1日から、いわゆる下請法は中小受託取引適正化法(通称・取適法)に改正されています。
- 受注側が労務費の上昇を理由に協議を求めたのに、発注側が応じず/必要な説明をせず、一方的に代金を決める行為は禁止され得ます
- 「値が決まる」には、値上げ・値下げだけでなく、据置きも含まれます
- 対象取引・対象事業者の範囲は、旧下請法より広がっています(運送委託の追加、従業員基準など)
受注側は「お願いしにくい」ではなく、協議を求める側として動いてよい、ということです。
自社が「受注側」か「発注側」か、両方の立場があり得ます。適用の有無は資本金・従業員数・取引類型で確認してください。
今日からできるアクション
- 主要取引先リストを作り、交渉の順番と時期を決める
- 「最賃の上昇率」「自社の人件費増の概算」を1枚のメモにまとめる
- 商工会議所・よろず支援拠点・公取委系の相談窓口の連絡先を控える
2.賃金圧縮を防ぐ:現場が壊れない上げ方
最低賃金対応でいちばん多い失敗が、これです。
新人アルバイトだけ時給を上げた → ベテランパートの時給とほぼ同じになった → 不満・退職
これを賃金圧縮(または賃金の逆転・目減り感)と呼びます。
数字で見ると分かりやすいです。
| 区分 | いま | 新人だけ1,086円にした場合 | 差の変化 |
|---|---|---|---|
| 新人アルバイト | 1,023円 | 1,086円 | ─ |
| ベテランパート | 1,100円 | 1,100円のまま | 差77円 → 14円 |
| 若手正社員(時間換算) | 1,080円 | 1,080円のまま | 逆転 |
差がほぼなくなると、「何年働いても同じ」という不満が出ます。若手正社員より新人パートの時給が高く見えると、正社員側も揺れます。
防ぐための考え方
| やり方 | 内容 |
|---|---|
| テーブル全体を底上げ | 最賃付近だけでなく、一段上の等級・時給も同時に動かす |
| 差の説明を用意する | 責任・シフト柔軟性・技能・勤続などで「なぜ差があるか」を言語化 |
| 手当の再設計 | 精皆勤・職務・地域手当など、趣旨の明確な手当で差をつける |
| 正社員側も点検 | 若手正社員の手取り感がパート新人と逆転していないか見る |
第2回のキャリアアップ助成金(賃金規定の改定)は、この「テーブル全体の底上げ」と相性がよい制度です。
設備投資なしで規程改定・一定率以上の賃上げをする場合に検討できます。
※精皆勤手当・家族手当・通勤手当・賞与・時間外等の割増は、最低賃金の算定に含めないのが原則です。手当で差をつける場合も、「最賃クリア用に足せばよい」とは考えないでください。詳細は第1回の点検リストを参照してください。
3.10月に重なる改正をチェックする
高知県の最低賃金(予定:10月29日)の前後に、別のルールも動きます。
「最賃だけ対応すれば終わり」ではない点に注意してください。
| いつ | 何が変わるか | 現場での意味 |
|---|---|---|
| 10月1日 | パート・有期雇用労働者の労働条件明示に、「待遇差の説明を求められる旨」が追加 | 雇入れ・更新時の書面・明示を見直し。違反は過料の可能性 |
| 10月〜 | 短時間労働者の社会保険まわりで、保険料の負担を一定期間やわらげる仕組みに注意 | 最賃アップで加入ラインに乗る人が増える/減る可能性 |
| 10月29日(予定) | 高知県最低賃金 1,086円 | 時給・月給換算・給与ソフトの単価更新 |
労働条件の明示(10月1日)
いまも、パート・有期の方には「昇給の有無」「退職手当の有無」「賞与の有無」「相談窓口」を書面などで明示する必要があります。
令和8年10月1日以降は、これに加えて、
「通常の労働者との間の待遇の相違(内容・理由)等について、説明を求めることができる」
旨を、雇入れ時・契約更新時に明示します。
- 対象は令和8年10月1日以降の雇入れ・契約更新
- 施行日前からいる人へ、さかのぼって出し直す義務まではない
- 説明を求められたら、従前どおり説明する義務はある
- 一文追加が入口。説明資料(職務・配置変更の範囲・賃金決定要素)の準備が本体
社会保険(10月〜)
- 短時間労働者の加入判定で使っていた月額8.8万円(年収106万円)の賃金要件が撤廃されます
- 特定適用事業所などでは、週20時間以上などの要件を満たせば、賃金額にかかわらず加入対象になり得ます
- 最賃アップ後は、「週を減らして加入を避ける」動きと「週20時間を超えて加入する」動きの両方を想定してください
- 保険料調整制度は、対象事業所の事業主が申し出た場合に、本人負担を通算3年程度やわらげる仕組みです。令和8年10月1日以降に任意特定適用事業所となる場合など、対象は限られます。すべての会社がすぐ対象になるわけではありません
参考:
- 社会保険の加入対象の拡大(厚労省)
誰が加入対象になるか(企業規模・週20時間・賃金要件の撤廃など)を確認するページ - 保険料調整制度(日本年金機構)
対象事業所が、本人の保険料負担を一定期間やわらげる仕組みの案内ページ
一文足せば終わり、ではありません。説明を求められたときに、なぜ差があるのかを話せる準備が本体です。第2章の「差の説明を用意する」と、同じ宿題です。
実務のおすすめは、10月に重なる改正を1枚のカレンダーにまとめてしまうことです。
労務・給与・現場店長が同じ日程表を見られると、抜け漏れが激減します。
4.発効前後の最終チェックリスト
発効直前(〜10月28日)
- 時給・月給の改定を実施(助成金利用時は、原則として発効日前日までに上げ切る)
- 就業規則・賃金規程・労働条件通知書を更新し、周知する
- 10月1日以降のパート・有期の明示様式(待遇差の説明を求められる旨)を入れ替える
- 給与・勤怠システムの単価をテスト計算する
- 派遣・請負・技能実習・育成就労など、外部人材の単価も確認する
発効後(10月29日〜)
- 新旧の賃金計算切替え(月初から新額一括でも可)
- 社会保険の新規該当者を洗い出す
- 使った助成金・県補助金の報告期限をカレンダーに入れる
- 「来年の秋も上がる」前提で、賃金テーブルの中期方針をメモする
5.3回分を通した「経営者向けひとこと集」
企業内や社内での説明で使える短文です。
- 「10月29日から、時給換算1,086円未満は違法になり得る」 → まず全員点検
- 「新人だけ上げると、ベテランが辞める」 → テーブル全体で設計
- 「上げるなら、設備投資と国の助成をセットで」 → 9月申請・決定前着手は禁止
- 「国の助成金のあとに県補助金の上乗せ」 → 交付決定後は急いで申請(予算あり)
- 「原資は価格交渉でもつくる」 → 最賃上昇率を根拠に協議する
よくある疑問(第3回)
Q. 発注側に「値上げしてください」と言って大丈夫?
A. はい。労務費転嫁の指針でも、希望額は受注側から出すことが想定されています。給与明細を全部見せる必要はありません。最賃の上昇率など、公表資料で十分です。
Q. うちは下請けではないので、取適法は関係ない?
A. 製造・修理・情報成果物・役務・運送の委託など、対象取引は以前より広がっています。資本金だけでなく従業員数でも見る仕組みになっています。自社が「受注側」なのか「発注側」なのか、両方の立場があり得ます。迷ったら商工会議所や公取委の相談窓口へ。
Q. 10月1日より前からいるパートにも、すぐ新しい通知書を出し直す?
A. 施行日前から雇っている人へ、さかのぼって出し直す義務まではありません。ただし、10月1日以降の契約更新では新しい明示が必要です。説明を求められたら、従前どおり説明する義務はあります。
シリーズ全体のまとめ
| 回 | テーマ | 持ち帰ってほしいこと |
|---|---|---|
| ① | 改定の中身と点検 | 1,086円・10/29予定。時間単価と手当の取り違えに注意 |
| ② | お金の支援 | 業務改善助成金+県の上乗せが二枚看板。順番を間違えない |
| ③ | 原資と設計・10月に重なる改正 | 価格転嫁と賃金圧縮対策。10月は最賃以外も同時に動く |
最低賃金の引上げは、避けて通れないコスト増です。
ただ見方を変えれば、省力化投資・賃金制度の刷新・取引条件の見直しを進めるきっかけにもなります。
「うちはどこから手を付ける?」で迷ったら、第1回の点検リストに戻るのがいちばん速いです。
参考リンク・相談窓口(高知県)
| 窓口 | 連絡先・URL |
|---|---|
| 高知労働局 雇用環境・均等室 | 088-885-6041 |
| 高知県 商工労働部 雇用労働政策課 | 088-823-9763 |
| 県・賃金向上環境整備事業コールセンター | 050-3605-0983 |
| 高知働き方改革推進支援センター | 0120-899-869 https://hatarakikatakaikaku.mhlw.go.jp/consultation/kochi/ |
| 厚労省・支援事業一覧 | https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/zigyonushi/shienjigyou/index.html |
| 都道府県の支援施策一覧PDF | https://saiteichingin.mhlw.go.jp/dl/chinginhikiage_2026_0608.pdf |
※本シリーズは説明用のやさしい解説です。個別の申請可否・支給額は、最新の交付要綱と専門家(社会保険労務士等)への確認をお願いします。
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